冷戦後のアメリカを中心とするPKO活動と「ソマリア内戦」、その撤退のきっかけになった「モガディシュの戦闘」についてまとめてみる

冷戦後のアメリカを中心とするPKO活動と「ソマリア内戦」、その撤退のきっかけになった「モガディシュの戦闘」についてまとめてみる

# PKO活動とは

peace-keeping operationsの略。
平和維持活動。
平和を脅かす局地的な紛争に際して,国連が小規模の軍隊ないし軍事監視団を派遣して事態の平穏化をはかり,平和の維持,回復のために行う暫定的な行動。

#「ソマリア内戦」とは

1994年4月7日から虐殺が始まり、その後わずか100日間で推定80万人の殺害。ルワンダ虐殺の死亡率は、第二次世界大戦中にナチスドイツによって行われたホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の実に3倍に上ると言われる。

ソマリアは1960年にイギリスとイタリアから独立したが、その当時からクーデターが多発し、1970年に共産党の一党独裁になったあと、隣国のエチオピアと戦争になり、1988年から内戦が勃発。民兵を組織したアイディード将軍のもと1992年から国際連合平和維持活動(PKO)が多国籍軍を派遣した。

ソマリアでは、1991年に起きたバーレ大統領追放により、ソマリア全土に各勢力の内部抗争、内戦が激しくなり、農業生産が壊滅状態に陥った。その為、国内に30万人とも言われる餓死者を出し、150万人が飢餓に苦しむ事となった。

#「モガディシュの戦闘」とは

1993年10月3日。
ソマリアの首都モガディシュにおいてアメリカ軍とソマリア民兵とのあいだで発生し、のちにアメリカがソマリア内戦介入から撤収するきっかけとなった戦闘。戦闘の激しかった地域の名を取って「ブラック・シーの戦い」とも呼ばれる。

米軍は19名の死者を出し(そのうち1名は国連PKO参加)、二人の米兵の遺体がソマリアの市民と民兵によって裸にされて市中引きずられる映像が、米国のテレビで放映された。その残虐さに米国内がパニックを起こし、外国の戦争、特に第三国の紛争には巻き込まれたくないという世論の高まりが起こったため、ソマリアからの撤兵を決定し、平和維持活動から撤退した。この作戦の痛手によって、その後、地上軍の派遣を渋り、ミサイルや航空機によるハイテク戦争への方向を推し進めていく。

# 歴史的な経緯と人道的介入、政治家

アメリカがソマリアの内戦へ平和維持軍として軍事介入を試みたのは、冷戦終結後で行われた軍事介入の中では最初の人道的介入だったと言われる。

人道的介入とは、国益(軍需産業などの利益や宗教、土地)のために介入するのではなく、純粋にそこで困っている人たちを助けるための介入のこと。

結果としてアメリカ兵18人が死亡し、その遺体が市内を引きずり回される映像が流されるなどしたこともあり、アメリカの世論は撤退や紛争地への介入に対する消極的な姿勢へと大きく傾いた。

当時のビル・クリントン元大統領は、自分が再選するためか、国民の顔色を伺い(政治家ならば当然かもしれないが)、ルワンダ虐殺当時にルワンダへのアメリカの関与に対しても消極的になった。

その結果、アメリカが常任理事国の一国を務めている国連安全保障理事会も機能不全に陥った。

参考サイト